「駅の喫煙所じゃない場所でタバコを吸う人が多くて困ってるんです。『ここは禁煙です!罰金1万円!』ってデカデカと赤い看板を立ててるのに、みんな無視して吸うんですよ!」 「それは北風と太陽の『北風(罰則)』だから反発されるんですよ。看板なんて外してしまって、代わりにその場所に『ここから先は、赤ちゃんが深呼吸するエリアです』という可愛いイラストでも書いておけば、みんな無意識のうちに恥ずかしくなって、誰もタバコを吸わなくなりますよ」

人間は「やれ!」と強制や禁止をされると、無性に反抗したくなる生き物です(心理的リアクタンス)。

しかし、人間の「ちょっとした心理の癖(錯覚)」を利用して、罰則もお金も使わずに、相手に「自分から進んで良い行動」を選ばせる最強の魔法があります。これが行動経済学の切り札「ナッジ」です。

ナッジとは? 一言でいうと

一言でいうと、ナッジ(Nudge:英語で「ヒジで軽くつつく、そっと後押しする」の意味)は「人々が強制されることなく、自分自身の自由な意思で、より良い選択(健康・貯金・エコなど)を自発的に行えるように導く、行動経済学の理論や環境デザインの手法」のことです。ノーベル経済学賞も受賞した超・有名な理論です。

これを、「オランダの空港で採用された、男子トイレの便器のハエ」の有名な例で解説しましょう。

【失敗するアプローチ(強制)】 男子トイレが汚れて困る清掃員が、壁に「一歩前へ!」「汚すな!罰金を取ります!」と張り紙をしました。しかし、利用者は「うるさいな」と反発してわざと汚すか、全く見ません。

ナッジの大成功例(ハエのシール)】 賢い管理人は張り紙を全部捨てて、便器のど真ん中に「リアルな一匹のハエの的(シール)」をこっそり貼り付けました。 すると、どうでしょう!それを見た男性は、「張り紙」とは一切無関係に、人間の狩猟本能(オスとしての遊び心)から「ハエの的をオシッコで狙い撃ちしたくなる」衝動に駆られます。全員が無意識にハエをど真ん中で狙い撃ちするため、オシッコの飛び散りが激減し、清掃費がなんと20%もカットされました。

これがナッジ(そっとヒジでつつく)です。 「汚すな!」と命令したわけではなく、本人は「自分で楽しくハエを狙っただけ(自由意志)」なのに、結果的に「トイレが綺麗になる」という企業側が望む最高の行動へと誘導されたのです。

ビジネスの現場での使い方

実際の現場で「ナッジ」がどう使われているのか、よくある3つの場面を見てみましょう。

「デフォルト(初期設定)効果という最強のナッジを使って、エコ活動を推進しよう」

  • 裏にある意味・意図
    • 「オンラインショップで『環境のために、紙の領収書を【希望しない】人はチェックを入れてください』ってやると、誰もわざわざチェックしない。だからナッジ(初期設定の魔法)の力を使って、最初から【紙の領収書を希望しない】の方にチェックマークを入れておく(デフォルトにする)んだ。そうすれば、人間はわざわざ設定を変えるのがめんどくさいので、99%の人がそのまま進んで、結果的に紙の無駄遣いが爆裂に減るぞ」
    • 「人間は基本的にめんどくさがり屋である」という心理を突いた、最も強力で簡単なナッジ。

「『野菜を食べろ』と説教するより、カフェテリアの陳列を変えるナッジを取り入れろ」

  • 裏にある意味・意図
    • 「社員食堂で、健康のためにサラダを食べてほしい時、ポスターで『健康第一!』と書いても誰も読まない。それなら、目の高さの一番取りやすい棚(ゴールデンゾーン)に色鮮やかなサラダを置き、太りやすいフライドポテトは少し屈まないと取れない一番下の棚に隠すんだ。そうすれば、社員は無意識のうちに『取りやすいサラダ』を自然に手に取るようになる」
    • ルールやインセンティブ(お金)を使わずに、環境(デザイン)のちょっとした変更で人を動かす極意。

「他人の目を気にする『同調現象』のナッジで、税金の未納者を減らした国があるんだぞ」

  • 裏にある意味・意図
    • 「イギリスの政府が、税金を払わない人に対して『払わないと逮捕します!』という脅しの手紙を送るのをやめた。代わりに、『あなたの住んでいる町の住民の”9割”は、もう税金をきちんと払っていますよ(あなただけですよ)』という手紙(ナッジ)を送ったんだ。すると『えっ、みんな払ってるのに俺だけ払ってないの!恥ずかしい!』と焦って、驚くほどの人たちが自主的に税金を払いに飛んできたんだよ」
    • 「みんなやっている」という社会的なプレッシャー(ピアプレッシャー)を優しく利用したナッジ。

「スラッジ」との違い(ダークサイド)

ナッジの「人間の無意識をコントロールする力」は強力すぎるため、悪用する企業もたくさんいます。この悪用を「スラッジ」と呼びます。

比較ポイントナッジ(Nudge:善の魔法)スラッジ(Sludge:悪の罠)
最大の目的ユーザー自身の「健康」や「社会の幸せ」など、お互いにとってより良い選択肢へ導くこと。ユーザーの錯覚を利用して、「企業だけが儲かるように」騙してボッタくること。
例え話「一番上の見やすいボタン」が、「1ヶ月の無料体験(いつでも解約可能)」になっている。「一番上の見やすいボタン」を押すと、「なぜか一番高額な10年契約プラン」が永遠に契約される。
現場での使われ方ノーベル賞も取った、社会を良くする素晴らしいデザイン手法。「ダークパターン」とも呼ばれ、お客さんからの信用を地に落とす最悪の詐欺的デザイン。

見分け方としては、「ハエのシールでお互いがハッピーになるのが『ナッジ』。退会するボタンをわざと見えないくらい小さな文字にして、解約させないように閉じ込める泥沼の罠が『スラッジ』」と覚えましょう。

まとめ

  • ナッジとは、行動経済学の知見を活かし、人々に「強制や罰則」を与えるのではなく、無意識のうちに「自分からより良い行動を選んでしまう」ように、そっとヒジでつつく(後押しする)ような工夫のこと。
  • 男子トイレの便器に「ハエのシール」を貼って無意識に狙わせることでトイレを綺麗にするように、「本人の遊び心や錯覚」を利用して目的を達成するスマートなやり方である。
  • 「初期設定(デフォルト)をあらかじめ望ましい方にしておく」ことや「あなた以外の9割の人はもうやってますよ(同調圧力)と伝える」など、お金をかけずに人の行動を変えることができる強力な武器である。

今日できるミニアクション: もしあなたが、家族や同僚に「ゴミをちゃんと分別してよ!」とか「電気を消して!」と怒ってばかりで疲れているなら、少しだけ「ナッジの魔法使い」になってみましょう。 「電気を消せ!」と怒るのではなく、電気のスイッチの真横に「大きな目のマーク(誰かに見られている錯覚)」の可愛いシールを貼ってみてください。人間は「誰かの視線」を感じると、無意識に「ちゃんとしなきゃ」とスイッチを消す確率がグッと上がります。人を動かすのは「強い怒声(北風)」ではなく、「思わずそうしたくなるような、ちょっとした環境の工夫(太陽・ナッジ)」なのです。